岩崎芳太郎の「反・中央集権」思想

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わたしが渡辺信一郎さんを応援する理由

以下に掲載する文章は私の私信として、約1000人位の方に送ったものであります。何がしら知己と言える方を主にお送りしましたが、諸団体の会長他役員および国会議員、県会議員、鹿児島市会議員、県内首長の政治家の方々にもお送りしました。
厳格に扱えば私信なので、このサイトへの掲載は控えるべきなのですが、後述の理由で掲載することにしました。
第一が鹿児島市長選について、前回投票率が26%弱と60万人都市(有権者数48万人)にとって首長という重要なポストの選挙であるにもかかわらず、異常な低さの関心度であった。2期目の現職に共産党の対立候補という状況ではあったが、余りにも低いレベルであった。
今回私が後援している渡辺信一郎さんは、少なくとも泡沫候補ではなく、7期28年続いた官僚市長(市役所の元総務局長OBが前市長・現市長)から民間市長に市政を取り戻すという明確な争点が48万人の有権者に提起されているので、私としては投票率は過去の事例から見ると45%以上にはなるだろうと考えていたが、かなりの人が、しかも鹿児島コミュニティーの指導者層が前回並みか、せいぜい35%程度の投票率を予想する。
そういう事情の中で鹿児島の人がこのサイトを何人見ているか分かりませんが(たいした数の人は見ていないでしょうが)この文章を掲載することでひとりでも多くの鹿児島市の市民が今回の市長選の大切さを理解し、投票所に行ってもらいたいとの願いを込めて、載せました。
第二に強弱もしくは大小の違いはあるが、日本国内の多くの市町村で鹿児島市の政治状況と似たような状態となっていると思われます。それを前提にして、鹿児島で起こりつつある民の一揆的な市民による改革の可能性とそれのための決起を求めた文章の存在について他の地方の人々が知ることで、その他の地方で市民が同じく役所に対して決起する切っ掛けまたは決起を準備する参考になるのではないかと考え載せることにしました。

わたしが渡辺信一郎さん」を応援する理由

平成24年11月吉日
岩崎芳太郎



 唐突な書面を差し上げる事、お許し下さい。御高承の通り、私は今月25日にある鹿児島市長選に立候補を表明致しました渡辺信一郎さんの後援会長をお引受け致しました。現職市長が三選を目指して先に出馬表明しているにもかかわらず、全く無名の新人候補の後援会長となるという私の判断は、私が経済界に身を置く者であるという前提に立ち、従来の鹿児島の良識を持ってすれば非常識なものと評価されること充分承知しております。
 多くの方々から「既に勝敗が決している選挙」の敗者側の応援をするなどという短慮かつ無謀な行動を慎むように御忠告を賜り、また、どのような考えの下に「渡辺信一郎さん」を応援することにしたのかを問い質されました。

 森市長が、私が、渡辺信一郎さんを応援することとなった事を聞かされた時に「岩崎芳太郎さんは、そんなに私が嫌いなのか。」とおっしゃられたと仄聞しています。残念ながら、森市長と直接話すことできぬ立場になってしまった私ですので、森市長には直接申し上げること出来ませんが、私の今回のこの決断は、そういう森市長個人への私的感情とは別な次元でのものであります。換言すれば、私企業のオーナー経営者とは言え、岩崎グループという鹿児島県全域で然るべき規模で事業を営む企業の経営者また経済人であるが故、私は、鹿児島の経済に大きな係わりを持つ身であると強く自覚しています。そして、私のその自覚は、祖父と父とが、二代にわたり30年の間、鹿児島商工会議所会頭を務めさせて頂いたという事実を考慮すると、私の独り善がりの考えではないと存じます。
鹿児島写真1 そして、私自身も現在、鹿児島商工会議所の副会頭を務めさせて頂いており、不遜とは存じますが、岩崎グループのオーナー経営者である私は、ある意味、鹿児島という地域に対して社会的な責任を負っていると思っています。そして、私人ではありますが、私も鹿児島の将来に対する責任という意味で公人としての判断をするべき時はしなければならないとの認識を持っており、今回はそういう自覚の中で、渡辺さんの後援会長をお受けすることと致しました。

繰り返しになりますが、私情を持って森市長に叛旗を翻したのではありません。森市長が、個人的に私のことをどうお思いかは分かりませんが、私は、森さんという方の温和なお人柄と気さくな御性格に親しみを感じていますし、私自身は森さんとそんなに遠い間柄とは思っていません。(もちろん、今現在、森さんは、私との人間関係を良好なものだとお考えになっていないでしょうが)
 敢えて申し上げれば、多くの方が使われる「森さんはよか人だ」という表現が、意味する森さんの誰にでも好かれる御性格が故に、森さんは市長として次の4年間の市政を執られるべきでないと私は考えます。赤崎前市長からのお二人の執政7期、28年間の長い時間で、鹿児島市役所は全国でも類を見ない大きな政府ならぬ「大きな市役所」になってしまいました。多くの方々が市の財政は健全とお考えのようですが、決してそうではありません。鹿児島市の経営状態を複式簿記で正しく財務諸表(バランスシートと損益計算書)で表せば、「破綻懸念」のある会社との判定を受けること間違いありません。その鹿児島市が破綻しないためにはこの4年間を待つことなく、経営の抜本的な改善が断行されねばならないのです。即ち、行政用語に置き換えれば早急な「行財政改革」の実行が必至の状況と考えます。
 しかしながら、森市長の御経歴と市長となられた背景、そして、私人としての御人柄を変えることの出来ない所与の前提として鹿児島市役所の改革の可能性を考察した場合、3期目の森市長は、2期目までの森市長がそうであったように「行財政改革」に着手されることすら期待できないと考えざるを得ません。敢えて申せば、40年以上お勤めになった市役所で培われた人間関係を大切にされるそういう御人柄の人格者である森市長だからこそ、あえて、同胞の中に敵を作り、柵の呪縛と苦闘して、そして、それに打ち勝つことで真に鹿児島市民から支持される機能的な行政機関としての市役所を再構築することは出来ないと考えるべきではないでしょうか。

 それでは、私が、森さんではなく、なぜ渡辺信一郎さんに市政を任せるべきと考えたかを申し上げます。まず鹿児島市政を振り返ると、鹿児島市は昭和34年から昭和38年の4年間、昭和42年から昭和50年の8年間、都合12年間、平瀬・末吉の社会党の二人の市長の市政が続き、当時の市役所は今の市民感覚では到底理解できない、市職員に定年退職の規約すらない市職員の為だけに存在すると言って過言ではない散蒔き型官僚組織であったと聞いています。非効率で且つ歳出歳入の均衡がとれない大きな赤字の市役所でありました。
鹿児島写真 この鹿児島市役所を抜本的に改革するために鹿児島県庁から送り込まれ、昭和50年から昭和59年まで市長を務めたのが山之口市長(県においては出納長)でした。山之口市長は3期目の途中でオーストラリアでの事故で負った大怪我が原因で退任しましたが、急遽、後任の市長となったのが、当時、総務部長だった赤崎前市長でした。なぜ後継が市役所内部から選ばれたのか知る由もありませんが、赤崎前市長の執政は5期20年間続きます。そして、6期目も続投するつもりであった赤崎前市長は菅井憲郎氏より待ったをかけられたため、前回5期目の古木圭介氏との選挙戦の結果もふまえ、6期目は勝てないと判断し、勇退を表明します。しかしながら、市政に影響力を残したい赤崎氏は自分の秘書課長を長く務めた森市長を後継指名しました。結果は、前職の後継指名候補である森鹿児島市総務局長が自民党・民主党・社民党の推薦を受けて当選します。

 立場の違いで異論あること承知で申し上げますが、8年間の末吉市政で肥大化した市役所は(山之口市長の9年間で、どれぐらい健全な官僚組織になったのかについては私自身も検証できていませんが)私が思うに当時の時代背景では、山之口市政でも現在の水準での行財政改革の必要もなかったはずで、充分な改革は行われなかったと考えるべきです。つまりは、鹿児島市役所は散蒔き型官僚組織体質を温存させたまま赤崎前市長の5期20年、森現市長の2期8年の内部昇格者市長による執政期間に移行していったのです。
 そして、もともと肥大化した市民目線を欠く市役所は、この28年で当然ですが、赤崎前市長の多選の弊害のつけ回し、及び、更に強化されて解きほぐすことが不可能となった柵により市役所職員の(of)市役所職員による(by)市役所職員とその利害関係者のための(for)市役所になりました。非効率で大きな赤字を垂れ流し、市民に情報開示も説明責任も果たさない市役所は、ある意味市長選の歴史の帰結です。

 ここまで、非効率的でかつ肥大化した赤字体質の組織になぜ鹿児島市役所がなってしまったのかを歴史的背景をふまえて御説明致しました。そして早急にやらねばならない行財政改革は森市長自身が市役所の幹部職員OBである事情から出来ないこと、そして、それは8年間の森市政を検証すれば、ある意味、自明の理となることについては既に皆様、充分にお分かりのことで、これ以上詳しく書く必要ないかと存じます。いずれにしても柵んでいない、凭れ合っていない森市長以外の人でないと鹿児島市の行財政改革は断行できないのです。
鹿児島写真くどいですが、鹿児島市政の行財政改革の緊急性について今の世界の中での日本、日本の中での鹿児島を考えた場合4年間の猶予など有り得ず、早急に断行しなければなりません。そういう意味で、東京に40年近くいて、ビジネス界で小さいなりにも成功者として会社を経営していた渡辺さんは時代認識もしっかりしています。彼なりに将来を予見して、彼なりにだから鹿児島はこうあらねばならないとの展望を持って今回の立候補を決意しています。日本が沈没していく中で、鹿児島には危機感が足りない。自分が市長になって「官尊民卑」的な手法を止めて、官と民が協力して事に応っていく、官民パートナーシップ型の手法で鹿児島市を元気にさせたい。そして自助自立できる鹿児島にしたいと渡辺さんは真剣に考えています。そして渡辺さんは今の鹿児島の「柵」の外にいる人間で、思った様に行動できるのです。
 (1)内しか知らないのではなく外を見てきた人。(2)財務諸表が読める有能な経営者。(3)「柵」の外にいて、市役所という組織の真の改革ができる人間。(4)郷土鹿児島を愛し誇りに思っている人。この4つがそろっている渡辺信一郎さんが鹿児島市長をやりたいと思っている。私は渡辺さんにやらせてあげたいと思います。

 次に、一番肝心な渡辺信一郎という人物についてお話します。学歴優先主義の鹿児島では鶴丸高校卒ではありますが、早稲田大学中退(正確には除籍というそうですが)の渡辺さんはレッテル的には優秀な人材と見なされていないと思います。ただ、同年齢の鶴丸高校卒業の方に聞いて頂ければわかると存じますが、当時鶴丸高校でも一・二位を争う秀才だったそうです。仮に偏差値の高さを持ってその人の優秀さを計るとするなら、トップレベルの秀才だったとのことです。
 当然ですが、私は渡辺氏が高校までお勉強ができたことを持って彼が鹿児島市長たり得る才があると申し上げているのではありません。ただ、その視点でも渡辺さんは学歴上のエリートと遜色ない秀才です。それよりも学歴主義とは逆の方向である実学主義で、渡辺さんが高い能力を持っていることを私は評価します。起業家として道を進みいろいろな経験を積み、事業家として成功した点に注目して頂きたいのです。
 知識偏重の秀才や官僚を朱子学的エリートとすれば、渡辺さんは実務能力に長けた「知行合致」の陽明学的手腕家です。今からの時代に必要な人材には、知識や経歴でなく、柔軟な発想と実務能力が必要であることに同意して頂けると存じます。

「鹿児島に37年ぶりに帰ってきて何がわかるのか、そんな者に市長なんかできるはずがない」鹿児島でありがちな意見です。「東京で商売が順調に行っていたのであれば何で唐突に市長になろうと思い帰って来たのか?よからぬ思惑でもあるのではないか?」そう思われるのも自然です。渡辺さんは4年前に大病を患い死にかけました。1年間の闘病の後奇跡的に生還することができました。闘病中に社長不在の状態が長くなると社員が困ると思い自分が経営する会社も社員に売却したそうです。ベッドの上で自分の人生をふりかえり、これまでの人生はやりたい事をやってきたので悔いはないと思ったそうです。しかしやり残していることがあったとして、そして今からの人生でもしそれをやらなくて人生を終えたとしたら、悔いを残すだろうと考えたことが「世のため、人のためにつくす」ということだったそうです。この思いが渡辺さんをして「ふるさと鹿児島」に帰って鹿児島市長になって自分なりに「ふるさと鹿児島」に何かの貢献をしたいとの決意に導いたそうです。

 鹿児島に住んでいる鹿児島人は、鹿児島から出ていた鹿児島人が「ふるさと鹿児島」のことを想って何か鹿児島のために貢献したいと思っても、意外と冷たい、協力的でないという声があります。鹿児島に残った鹿児島人は彼らをどこかで鹿児島を捨てた鹿児島人と考えているからかもしれません。でも鹿児島に生まれ育ち、故あって、県外に出て行ってがんばっている人達、そして、その人達が郷土を想い郷土のために役にたちたいという気持ちを持っていることを、冷静に受け入れれば、その人達そして、その人達の郷土への想いは鹿児島の財産と考えるべきではないでしょうか。私は渡辺さんも鹿児島にとって大切な人財として考えて公平に選挙戦を戦わせてあげるべきだと思いました。
鹿児島写真 渡辺さんに対する検分もしないで、鹿児島市長というポジションで彼の能力を発揮させる可能性を一刀両断に切り捨てるのはおかしいと考えます。だから、敢えて、皆さんが「負け戦」とおっしゃる選挙戦に渡辺さんの味方をする決意をしたのです。仮に、渡辺さんを「鹿児島を捨てた人として、ちゃんとした市長候補と見なさない」と主張する人がいたとしたら、その人にお聞きしたい。鹿児島を捨てて、また帰ってきた伊藤知事を鹿児島県のトップとして、崇め奉っていることに抵抗感はないのですかと。

 最後に私が渡辺さんを応援するにあたってつけた注文のことをお話します。
まず、大前提をお話します。お分かりのように、日本の国力の衰退とともに、中央からの分配は減り地方は何らかの方法で自助自立のために地域ごとに経済力もしくは競争力を高めていかなければなりません。換言すれば、地域間競争が激化していきます。その時に、地域の競争力を高めるというテーマに対しての定石の戦略は、その地域の強いところを更に強化することです。
 鹿児島県にあてはめると、まずは、鹿児島市の競争力を高めるという事が大切だということになります。そして、鹿児島市が県内の他の地域を引っぱって行く。それが地域間競争に勝利するための必須の戦略なのです。しかしながら、赤崎前市長も森現市長もお2人が市役所出身であったため、そういう認識を持った形で鹿児島市の経営が行われていません。

 観光がよい例です。せっかく新幹線が全線開通したにもかかわらず、鹿児島の陸の玄関である中央駅周辺の整備が進まず、観光客の入り込みに支障をきたしています。これは一例で、魅力的な都市造りが進んでいないため、鹿児島市の観光都市としての競争力は決して高くありません。金沢や函館や倉敷などと比べるとポテンシャルがあるのに街造りに成功しているとは言えないため魅力のある都市になっていないのです。残念ながら新幹線で大きくアクセスが改善されたのに多くの観光客を取り損っています。学会などのコンベンションや商談会などのイベントの誘致もちゃんとやっていないのです。鹿児島市が観光でがんばれば県内の回りの地域が潤うのですが、今の鹿児島市政にはそういう考えがありません。インフラ整備もそうです。南北道路も桜島トンネルも中央駅の東西広場の整備も錦江湾の活用も全県的視野で鹿児島市政がなされていたら、現状は、今よりも、もう少しましなものだったはずです。
 私の言葉で言えば“県都の自覚”“鹿児島のリーディングシティとしての自覚”が足りないのです。民間人であり経営者である渡辺さんは鹿児島市の経営をもう少し高い次元で行なう事を約束してくれています。例えば今、鹿児島市内に鹿児島県の各地の特産品を市民や観光客に販売する店もありません。鹿児島市が観光都市としての魅力を磨くためには鹿児島県全体の魅力を市内のどこか一ヶ所に集中し、鹿児島市の強みにする戦略を打つのはある意味経営者としては当然ですが、官僚発想ではその当然ができないのです。
 鹿児島市長は行政マンでなく政治家です。8年間の間で森市長は、県も市もなく「鹿児島」という大局的見地から市政を執ることのできる政治家となれませんでしたが、渡辺さんには大局観のある執政を行なえる市長になる可能性があるのです。

 森市政を検証した時の財政等の市政の問題点についてはこの文中で言及していませんが、関連資料を同封致しておきます。渡辺さんの政策面での主張などについてもマニフェストなどの選挙資料も同封しておきます。御一覧頂ければ幸甚です。取りあえず、私が渡辺信一郎さんを応援しようと考えた理由を述べるのをおしまいにします。

最後に、「これでいいのか鹿児島」というキャッチコピーに込めた私なりの鹿児島の風土や現状に対する問題意識、日本の行末に対する危機感と鹿児島の将来に対する危機感、それに次世代に対する
責任について生意気と叱責を賜るかと存じますが、拙見をこの後の紙面に記載致しました。御関心があられれば引続きお目通し下さい。

 私は、約30年前三井物産を辞めて、家業を継ぐために鹿児島に帰った時に「なぜ鹿児島県では県知事になる人が鹿児島の人々の意見が反映されることなく東京で決められるのか?」との素朴な疑問を抱きました。しかも、重成知事・寺園知事・金丸知事・鎌田知事・土屋知事とすべて中央の役所の上級官僚の方です。(寺園知事のみ厚生省で残りの方は自治省の出身)また、ぎりぎりのタイミングで六選を諦めた赤崎前市長が後継者として、当時の秘書課長経験者で総務局長の森さんを指名した時、当時の国政・県政・市政の政治家の皆さんや各種経済団体の長の方が、何の議論もないまま、赤崎前市長の後継指名を受け入れたことに対して、いまひとつ釈然としない思いがあります。
 須賀知事が退任し、次の知事を誰にするかの選挙の時は、須賀知事以外のそれまでの知事と同様の選択方法に戻したいと考える勢力が推す伊藤さんと土屋知事が任期途中で退任したため、副知事から内部昇格した須賀知事本人や多くの国会議員・県会議員など県内在住者から二代続けて知事を送り出そうと考える勢力が推す溝口議長との実質一騎打ちになりました。この時も、当然かも知れませんが、東京組も鹿児島組もなぜ伊藤さんを推そうと思ったのか、なぜ溝口さんを代表選手にしたのか、私達一般の市民にはこれっぽっちも説明はありませんでした。
鹿児島写真 確かにあの時は本当に選挙戦が行われましたが、いずれにしても、鹿児島県知事は常に密室談合的に決められているという感覚を払拭できないのは、私ひとりなのでしょうか。鹿児島の指導者の人達は、少なくとも県知事や鹿児島市長の二人の首長の候補選びについては、もう少し見えるところでオープンな議論をして頂きたいと思います。
 私には、このような記憶があります。鎌田知事勇退時、後継として当時自治省の事務次官を退官していた土屋さんが内定したというお話しを聞き及んだ父福三は、当時鹿児島商工会議所の会頭でありましたが、地元の経済界の意見も聞かないで、東京在住の方々のみで鹿児島県の次の知事になる人を決めた事に異を唱えました。その後、土屋さんが東京から来鹿、父福三と面談し、父福三も納得尽くで土屋知事を応援することとなります。少なくとも父福三は、知事内定者である土屋さんに、知事に就任されたら鹿児島県の経済をどう良くするかについて土屋さんのお考えを聞くとともに、然るべき意見具申を行い、土屋さんも県勢浮揚について、官民協力して努力していくことを約束されていました。

 今回の市長選のケースは、詳細は後述しますが、これと事情は異なりますが森市長の三選の是認を一部の人達、特に市会議員の人達で密室談合的に決定したのは問題だと考えます。知事内定者選びで記載したような密室談合で鹿児島にとって重要な役職を担う人を決めるのは、鹿児島の政治的風土によるものですが、今の時代にこんなやり方が当たり前だと考えている人々が、市長選びや市政の運営に深く関与しているのであれば、鹿児島市政はいつまでたっても市民のための市政にならないと危惧します。
 少なくとも自民党の市会議員の先生たちは、自分たちの支援者・後継者のそして経済界などいろいろなグループの声を聞いてから、誰を推薦すべきかを決めるべきです。せめて、8年間の市政の検証を行う必要があったと考えます。多くの分野で、やる必要のない官業を市の補助金まで入れて無理矢理維持し、結果民業を圧迫している大市役所主義の擁護者の森市長(自治労が最大の支持母体)に推薦を決める政治家は、私から見れば自由民主党の政治家とは言えないのです。

鹿児島写真 森市長は当初県民党で選挙を戦った伊藤知事と同様の作戦で行こうとされ、政党の推薦願いは提出されていませんでした。逆に、共産党を除く自民・民主・公明・社民の4政党の7つの会派に会派推薦を願い出て、この7会派のうち6会派は森市長が推薦願いを提出後、直ちに会派推薦を出しています。即ち森市長は各政党の各会派の主要な議員に根回しをして出馬表明をされていることは間違いありません。私が密室談合的に一部の人達のみで森氏の三選を決定したと言う理由はここにあります。
 前述のごとく、森市長は、当初、政党推薦を取られるおつもりはありませんでしたが、渡辺さんの出馬が確定した後、方針を変更され、各党に党推薦を願い出ます。私は自民党の県連に対して、いずれの候補者にも自民党推薦を出さないようにお願いを致しました。理由は森市長の有力支持団体が自治労であり、政治家としての森市長が自由民主党の後援者とは言えないこと、国政・県政はまだしも鹿児島市長選挙に特段の事情がないのに、民主主義の擁護政党である自民党が必要以上の介入をすることは、地方自治の精神に反して、市民の自由意思の選択を侵害することになることなどです。
 しかしながら、自民党鹿児島県連には県知事は県会議員が、鹿児島市長は鹿児島市会議員が誰に推薦を出すかを決定するという慣例があるとのことで、結局は、鹿児島市支部の一部の執行部の協議をもって鹿児島市支部より県連に意見具申がなされ、県連役員会で何の議論もしないままに、自民党の党推薦が森市長に出されることとなりました。これが、一般市民の思いや市政に対する経済人の要望を全く蔑ろにして、一部の人達で鹿児島市長が決められていると私が言う第二の理由であります。しかも、自民党鹿児島市支部が森市長を推薦すべしと県連に挙げた時点では、森市長はマニフェストも発表していません(今日現在も発表していません。)ので政策についての検証を行うことはできず、森市長推薦の根拠は「現職」ということだけだそうです。

 最初に書きましたように、多くの方から立場をわきまえず短慮な「負け戦」をするなとアドバイスされましたが、その何故、森市長が必ず勝つかの根拠が、森市長が「現職」であるという理由です。首長選挙においての現職の強みの意味は、私も充分承知していましたが、鹿児島における現職の強みは通常の現職の強みにプラスして、既存政党が、選挙民の視線でどの候補者に推薦を与えるかの吟味もせず、政治の世界の論理のみで推薦を与え、一般市民に圧力を加えることであることを鹿児島に帰ってきて30年経って学んだ次第です。
ただ、自民党の政治理念に共感し、そのような社会の実現のために自民党を自民党の政治家の方々を応援してきた私としては、誠に残念なことです。自民党が、自民党鹿児島県連が自民党を支援・応援する人々の声を聞かなくなり、自民党を利用する人々に支配されていくとしたら、それは自民党が自民党でなくなっていく事であり、自民党の将来は危ういと今回の市長選での自民党鹿児島市支部の政治家の方々の対応を見て、強く感じるものです。自民党の支持者や支持団体は、この間の3区の補選、そして今度の市長選、そして近くにある衆議院選挙で本気で選挙活動ができるのでしょうか。

鹿児島写真 鹿児島の多くの皆さんが今回の私の決断に対して、見識を欠くものと評価されていると存じます。しかし、冷静に考えて見て下さい。現職市長の三選を是認することは、大きな市役所がさらに大きくなり、鹿児島市がより社会主義的経済風土になっていくことです。多くの市民が誤解していますが、大きな市役所が必ずしも市民のニーズにあった良質な行政サービスを提供するものではありません。むしろ、現実はその逆です。政治的にも今回の自民党の市会議員の方々がそうであったように、自由主義・民主主義の社会を守るために政治活動をする本当の政治家が減り、ただ政治家(首長も議員も)という職業から失業したくない人々に自由民主党が利用されるだけの状況を更に助長していくことになります。
 最も重要な経済については、現在の社会常識では、整理されるべき必要のない官業が、税金の投入で無意味に維持され、民業を圧迫。官民がパートナーとして協力し、地域間競争に勝ち抜くために、競争力を上げていかなければならないこの時代環境で、鹿児島県を引っぱって行かなければならない鹿児島市は、主役の民業が活力を失い経済的に衰退していくこと間違いないのです。

 私がこの書面を差し上げる方は、鹿児島の地域社会に、そして、その将来に一定の責任を負われている立場の方と存じます。森市長の三選をそういうお立場の方全員が追認し、森市政が次の4年間続いた後に、皆さんは「その責任を果たせなかった。」と後悔しないという確信をお持ちですか。

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