岩崎芳太郎の「反・中央集権」思想

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中央集権戦略で日本が浮上できる時代は終わった

「日本は中央集権国家として、東京中心でのし上がろう」という発想ですんだ時代は終わりました。しかし、地方が立ち上がろうにも、地元に資本がないのでどうしようもありません。地方格差はひどくなる一方です。

小泉改革で笑ったのは結局官僚と大都市のサラリーマン

小泉改革で笑ったのは結局官僚と大都市のサラリーマン小泉竹中改革の「錦の御旗」は、「地方における公共事業は談合のせいで建設費が高くつくだけで効率が悪く、都市住民はまったく受益できない。こうした非効率の元凶は霞ヶ関の官僚にある。やはり民ができることは民間にやらせるべきだ。郵政事業や道路公団、政府系金融機関などはどんどん株式会社化し、民営にするべきだ。グローバルスタンダードに基づいた国家の運営を行わなければ、世界から見捨てられて、やがては食べていけなくなるだろう」というものでした。

しかし現実的には、民営化した結果、官僚はあいかわらずおいしい思いをしているうえに、株主に配当をしなければならないため、民営化されたサービスはさらに悪化し、地域で実際にサービスを供給しているサプライヤーからの搾取はいっそう進んだというのが現実なのです。
その結果として、08年秋のリーマンショックが来るまでは、大都会に住んでいる大企業のサラリーマンや官僚たちはほとんどが、いい思いをして暮らしていたと思います。しかしその裏では、地方に暮らす人々は10年以上にわたって収入を絞られ、厳しい道を歩まされていたのです。

増える派遣社員 格差社会化が進み地方にはもう闘う武器すらない

小泉竹中改革のもう一側面として、従来は、労働者が終身雇用制に基づいた労働関連の法律や社会慣習で守られていた日本においてすら、格差社会化が進行してきました。
メディアのこうした問題に対する把握の仕方も非常に表層的で、派遣社員の増加は問題とするものの、ではなぜ日本的な終身雇用制の破壞がこの10年で進んできたのかといったことに対しては、あまり切り込んでいません。
小泉竹中改革のもう一側面として、従来は、労働者が終身雇用制に基づいた労働関連の法律や社会慣習で守られていた日本においてすら、格差社会化が進行してきました。 メディアのこうした問題に対する把握の仕方も非常に表層的で、派遣社員の増加は問題とするものの、ではなぜ日本的な終身雇用制の破壞がこの10年で進んできたのかといったことに対しては、あまり切り込んでいません。 一連の改革の中で、財界で行った派遣業法の規制緩和によって起ったことですが、派遣社員とは、グローバルスタンダード的な会社運営のために、人件費を流動費化するためのバッファーなのです。アメリカのようにレイオフすることができる、経営上のゆとりの部分なのです。  ちょうどアメリカの南北戦争のときと同じような構図なのだと思います。当時のアメリカ社会の対立の根底には、アフリカから連れてきた奴隷を使って綿花を栽培して儲けていた古いアメリカの経済構造と、急激に工業化が発展した北部の労働問題がありました。 小泉改革期の日本でも、地方住民は地元で働ける公共事業や農業が絞られてきたしまったため都市部にあるキヤノンやトヨタといった大企業に安く雇われて酷使されるようになってしまいました。さりながら、アメリカと日本の大きな違いは、南軍であるはずの地方がまったく疲弊してしまって闘う気力もないので、市民戦争すら起こりようがない、地方にはもう闘う武器すらないのですから、かなり厳しい話です。 格差社会化の進展は、今頃気づいても施すすべもないほど進行していると思います。 一連の改革の中で、財界で行った派遣業法の規制緩和によって起ったことですが、派遣社員とは、グローバルスタンダード的な会社運営のために、人件費を流動費化するためのバッファーなのです。アメリカのようにレイオフすることができる、経営上のゆとりの部分なのです。

ちょうどアメリカの南北戦争のときと同じような構図なのだと思います。当時のアメリカ社会の対立の根底には、アフリカから連れてきた奴隷を使って綿花を栽培して儲けていた古いアメリカの経済構造と、急激に工業化が発展した北部の労働問題がありました。
小泉改革期の日本でも、地方住民は地元で働ける公共事業や農業が絞られてきたしまったため都市部にあるキヤノンやトヨタといった大企業に安く雇われて酷使されるようになってしまいました。さりながら、アメリカと日本の大きな違いは、南軍であるはずの地方がまったく疲弊してしまって闘う気力もないので、市民戦争すら起こりようがない、地方にはもう闘う武器すらないのですから、かなり厳しい話です。
格差社会化の進展は、今頃気づいても施すすべもないほど進行していると思います。

経済構造の変化により、東京中心でのし上がれる時代は終わった

日本の社会ではいまだに「士農工商」、つまり業種に貴賤があるのです。士は役人でしょう。そして工業国家だった日本では、江戸時代と同じように製造業の地位が高かったのだと思います。実際日本はアセンブリー産業を中心にして世界一の工業国になったわけですから。しかし、第一次大戦以降、実際に勝っていたのは、実は固いビジネスをしていた商業資本や金融資本であったと思います。でも「士農工商」なので、彼らの地位は低いのです。
そこでこれまで日本の労働法規は、週40時間を確保する製造業の中心としたものとして整備されてきました。自動車や、家電エレクトロニクス、それを支える素材産業としての化学や鉄鋼メーカーのことだけを優先して、日本がこれまで通りの豊かな国家であり続けようとするのは、明らかに戦略的にも政策的にもまちがっていると思います。私は、製造業を過剰に重視し続けたために、これまでの日本経済の停滞は起こってきたのだとすら思っています。なぜなら、日本の商品のメインの最終購入者は借金まみれのアメリカだからです。

経済構造の変化により、東京中心でのし上がれる時代は終わったさらに、バブル崩壊後の失われた10年の際に、IT産業のような技術の根幹を外国が押さえているものに飛びつくというのは、まったくばかげたことであり、その結果はITバブルの崩壊となって後を引いたことはみなさんご存じの通りです。
そして今回、グローバルスタンダードの名の下に、「日本流ではいかん」と外国資本を優遇して、なんとかしようと受け売りの他力本願的な政策を行っていたら、金融危機で思いっきり自爆してしまったというところでしょう。
ここ最近までは、コピーやデジカメや自動車の輸出で調子がよかったのですが、金融危機とアメリカ経済の崩壊でそれもまたはかない夢となってしまいました。

この後においても、「日本は中央集権国家なのだから、なんとしても東京中心でのし上がろう」という考え方は、正しいとお考えでしょうか。
これまで日本の輸出産業は、常にアメリカからダンピングを疑われて叩かれ続けてきました。また実際にダビングしていたのだと思います。日本には一億人を超えるマーケットがあり、国内の工場の減価償却費は国内向けの商品価格に転嫁されているのですから、輸出する商品は安くしても問題がなかったわけです。そうした高コスト体質を日本人はみんな受容していたわけです。
そうやってアメリカのような浪費癖のある多重債務者に、国債を買って金を渡し続け、商品を売りつけることで日本はずっとやってきたわけですが、結果として、日本人の購買力が著しく低下し、内需が激減した結果、供給過剰とデフレ経済になったら、アメリカ市場への輸出頼みの経済で、経済を再生できるはずはありません。


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