岩崎芳太郎の「反・中央集権」思想

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鹿児島で維新を起こす手助けをお願いします!

鹿児島に住む人々には、鹿児島のような地方が切り捨てられつつある危機感がありません。鹿児島市に親・兄弟姉妹・親戚・友人・知人がいるみなさん、危機感を持って、勇気を出して鹿児島を変えるために行動するよう、アドバイスして欲しいのです。

個人が「主権者」たるためには、強い意思と勇気と闘いが必要

意外と意外、鹿児島市の新市長候補のW氏の後援会長を引き受けたために「反中央集権」というこのサイトの更新をする頻度が前回よりも多くなりました。
前回書きましたが、二回目の更新文章を執筆していた時、私はオーストラリアに出張しておりました。ちょうどオーストラリアのシドニーを発って、それこそ新生JAL便で成田に帰ってきました。
個人が「主権者」たるためには、強い意思と勇気と闘いが必要機中、映画を一本見ましたが題名が「リンカーン/秘密の書」というSFアクション映画です。筋は単純で、幼少時代にドラキュラに母親を殺されたリンカーンが表向きは弁護士として奴隷解放のための政治活動を行いながら人知れないところで、アメリカ合衆国を自分のものにしようと目論むドラキュラ一族と闘うというストーリーです。

この映画の中で「全ての人は何ものかに隷属する存在である。」というフレーズが、劇中に数回出てきます。
この映画の根底にあるテーマは、リンカーン大統領の黒人奴隷の解放のための戦い=生者リンカーンの死者ドラキュラの隷属から生者人間の解放の戦い=人間の人間を隷属させている何ものかとの戦いです。
死人であるドラキュラと闘う生者のリンカーンの心情や決意と、今の私のおかれている状況と今の私に求められている精神とを重ね合わせて、この映画を見ていますと、必要以上に感情移入してしまいました。
単なるSFアクション映画なのですが、改めて「民主主義において、実際一人一人の人が真の主権者たるためには、強い意思と勇気とを持ち、自分を隷属させようとするものと毅然と闘わなければならない。」
「今回の鹿児島市長選では絶対に勝って、自助・自立でき自尊心が保てる鹿児島をつくっていかねばならない。」
「人は、型だけの民主主義の社会では、自分が自由と考えていても、実際は何ものかへ隷属しているのかもしれない。」などなど色々と感じ、考えてしまった次第です。

国の統治の原則が『地方主権』でなければならない理由

元々、リンカーンのゲティスバーグでの演説のこのフレーズ「The Government of the people, by the people, for the people」という至言は私の「地方主権」の思想の本質を最も表現した言葉として、あまたの思想家や政治家の言葉の中でも、私にとり、最も重たい言葉の一つであります。
国の統治の原則が『地方主権』でなければならない理由たまたま、最近発行した岩崎グループのフリーペーパーの名前が「インターローカル」という私の造語をタイトルにしたのですが、巻頭に「インターローカルという思想」という題でインターローカルの説明をした時にもその中で、「The Government of the people by the people for the people」を引用したばかりでした。
いずれにしても、私としては私が個人的に信奉する原理原則「民主主義社会において主権は一人一人の個人が本源的に持っているものであり、それを原理とした場合、国の統治の原則は『地方主権』でなければならない」を、この映画の主人公リンカーンの劇中での活躍によって、改めて再認識することとなりました。

「市役所of役人by役人for役人」から「市役所of市民by市民for市民」に変えるための戦い。そして、「この市長選という戦いには負けられない」という強い思いがこみあげて来ました。皆様お笑いになるかもしれませんが、人の「モチベーション」とか「勇気づけ」とかは意外とこんな風に単純かつストレートなものだと思います。

現職市長と馴れ合い、もたれ合う鹿児島市民は本当に隷属から自由なのか?

ところで、この「リンカーン/秘密の書」という映画に市長選にかかわる鹿児島市の現状をあえてダブらせますと、未だに多くの鹿児島市民がドラキュラの恐怖によって、ドラキュラが支配する掟に隷属している状態が鹿児島市の現状ではないかと考えます。
ドラキュラによって作り出される恐怖、それは現職市長と市役所に逆らったら、村八分になり、干されて、生活していけないという恐怖と同一のものです。役人と役所に多くの市民が隷属しているのです。既成政党(特に自民党)の推薦によって現職市長に与えられた権威による支配と隷属、人は、政党など何がしかの政治的集団の隷属からの自由ではないのかもしれません。
現職市長と馴れ合い、もたれ合う鹿児島市民は本当に隷属から自由なのか?鹿児島市民の大半はこの執政者や国や県や市という統治組織や政党などへの支配と隷属の呪縛から逃れられないでいるのです。だから、鹿児島はいつまで経っても、時代に合わせて、環境変化を予見して変わっていこうとする意思さえ示されずにいます。
「現職」だということだけで、その現職による市政が問題だと分かっていても、勝馬と考える現職に乗ってしまう。それは、ひょっとしたら、大海に放り出されないために近い将来沈没する船で、沈没するまでの身の安全を確保し、自分自身納得させているみたいなものです。

赤信号は本当に皆で渡れば怖くないのでしょうか? この民主主義の国で主権者である市民が、何ものかの奴隷であることから抜け出せない。自民党も民主党も社民党も「現職」であることのみで、イデオロギー・政策などバラバラの政党が現職市長という一人の政治家にあい乗りする。結果、ほとんど、すべての市民が、既存の(実は次の時代では通用しない程劣化した)政治的枠組に隷属を強いられる。鹿児島市長選での各々の政治家のビヘイビアを見ていると、国・県・市のすべてのレベルで政党という議員の集団は、市民という生きた人間の生き血を糧にして存在する死せるドラキュラの集団ではないかと思ってしまいます。
特に市会議員の人々が現職市長と馴れ合い、もたれ合い、徒党を組んで、市民が自由意志で自分達の市長を選ぼうとすることを疎外するなんて、あってはならないと憤りさえ感じます。

奇跡が起きて、始めて皆の目が覚める。そして奇跡は起こすもの

ただ、私は正直言って、勇気がないが故に何ものかに隷属する一般の市民を責めることができませんし、同情心もさして湧きません。ある意味、自業自得的なところがあるのですから・・・。
ただ、一緒に破滅への道を歩むつもりはありません。どちらかというと、「現職市長との『馴れ合い』『もたれ合い』であることに対して議会人として決別する勇気がない政治家と称するリーダー達、その実体は政治屋さん達に怒りを覚えます。ただそれも、彼らもまた何ものかに隷属していることを思えば、そんなに強い怒りとはならないのです。
それよりは、そういう一般市民やプチ・リーダー達に、この市長選挙で三政党相乗り推薦の現職が敗れるという奇跡を起こし、そして奇跡は起きるから奇跡であることを教えてあげたいと切望しています(起きなければ奇跡と呼ばないから)。

奇跡が起きて、始めて皆の目が覚める。そして奇跡は起こすもの  ただ、私は正直言って、勇気がないが故に何ものかに隷属する一般の市民を責めることができませんし、同情心もさして湧きません。ある意味、自業自得的なところがあるのですから・・・。 ただ、一緒に破滅への道を歩むつもりはありません。どちらかというと、「現職市長との『馴れ合い』『もたれ合い』であることに対して議会人として決別する勇気がない政治家と称するリーダー達、その実体は政治屋さん達に怒りを覚えます。ただそれも、彼らもまた何ものかに隷属していることを思えば、そんなに強い怒りとはならないのです。 それよりは、そういう一般市民やプチ・リーダー達に、この市長選挙で三政党相乗り推薦の現職が敗れるという奇跡を起こし、そして奇跡は起きるから奇跡であることを教えてあげたいと切望しています(起きなければ奇跡と呼ばないから)。  奇跡が起きて、始めて皆の目が覚めるのですから、次の奇跡が起こしやすくなります。 この国では真のリーダーがいなくなっています。だから、リーダーなしで、革命的な世直しを実現するためには、奇跡が起こって民が目覚めることが必要です。 但し、その奇跡を起こすには、奇跡が起きることを信じる人々の存在と呪縛していない外部の人の手助けが必要不可欠です。 今日は、このサイトにアクセスした人で、鹿児島市に親・兄弟姉妹・親戚・友人・知人がいる人の手助けを頼みたいのです。特に鹿児島出身の人で、現在、県外に住んでいる人にお願いしたいのです。 今、日本が、どれだけダメになっていっているのか? その中で、日本の地方、鹿児島のようなところが切り捨てられつつあること。それなのに、鹿児島に住んでいる人々は、そういう認識が薄く、危機感がないことは問題であること。だから、鹿児島の外で何が起っているか関心を持って、そして危機感を持って、勇気を出して、鹿児島を変えるために行動するようにと、アドバイスしてあげて欲しいのです。 維新から最も遠いところにある鹿児島で維新を起こすには、皆さんの手助けが、どうしても必要なのです。奇跡が起きて、始めて皆の目が覚めるのですから、次の奇跡が起こしやすくなります。
この国では真のリーダーがいなくなっています。だから、リーダーなしで、革命的な世直しを実現するためには、奇跡が起こって民が目覚めることが必要です。
但し、その奇跡を起こすには、奇跡が起きることを信じる人々の存在と呪縛していない外部の人の手助けが必要不可欠です。
今日は、このサイトにアクセスした人で、鹿児島市に親・兄弟姉妹・親戚・友人・知人がいる人の手助けを頼みたいのです。特に鹿児島出身の人で、現在、県外に住んでいる人にお願いしたいのです。
今、日本が、どれだけダメになっていっているのか? その中で、日本の地方、鹿児島のようなところが切り捨てられつつあること。それなのに、鹿児島に住んでいる人々は、そういう認識が薄く、危機感がないことは問題であること。だから、鹿児島の外で何が起っているか関心を持って、そして危機感を持って、勇気を出して、鹿児島を変えるために行動するようにと、アドバイスしてあげて欲しいのです。
維新から最も遠いところにある鹿児島で維新を起こすには、皆さんの手助けが、どうしても必要なのです。

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