岩崎芳太郎の「反・中央集権」思想

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資本家にとっては、お金は「自分のモノ」ではない

誤解を恐れずに言います。経営者がお金を儲けて何が悪い。資本家にとっては、お金は自分のものではありません。地域に再投資して、地域の中で役割を果たしていくために最低限儲けることは必要なのです。

ホリエモンが地方にいたらみんなから袋叩き

日本では、儒教の影響からか、金儲けに対する変な罪悪感があるようです。それもまた、社長が胸を張っていられない一つの要因かもしれません。
私自身は、正確に言うと、お金を儲けたとして、それを自分のものにしてしまうということは賢明なことではないと考えています。
純粋な民間企業であれば競争環境下にありますからボロ儲けは難しいでしょうが、ちゃんと儲けて事業を拡大し、雇用を増やして、積極的に投資を行い、地域に対する社会的な責任を果たすことが企業にとって大切なことなのです。
経営者としては、商工会議所に入ったり、時には寄付をしたり、行政から頼まれて出資をしたり、業界団体の面倒を見たり、車も多少はよい車を買って、一般社員よりは少し贅沢をするかもしれませんが、結果的には地域経済で消費に貢献するといったことが大切なのだと思っています。

ホリエモンが地方にいたらみんなから袋叩きところが最近では、特に東京では、若手起業家が作った、とりあえずキャッシュリッチでキャッシュフローを生み出せる会社がもてはやされています。
考えてみれば、こんなエゴイスティックな会社が地方にあったら、これまでの価値観であればみんなから袋叩きです。ところが価値観がいつの間にか逆転して、キャッシュリッチな会社のほうが信用されるし、銀行からもドンドンお金を借りられるという状況になりました。
どうやらパチンコをやってでも、どんどん現金を稼ぐ経営者が、グローバルスタンダードの価値基準では「よい経営者」ということになるようです。その一方で、コツコツと稼いだ金を再投資に回して、地方で雇用を維持している経営者がベンツにでも乗ろうものなら、「あいつは儲けている。けしからん」と言われてしまいます。
これは私はちょっと違うのではないかと思います。

地域経済、地域社会という観点からは、キャッシュを稼いで税金を払うよりは、投資したほうがずっとよいと考えます。また一定の企業規模になったら、商工会議所に入るとか、業界団体や公益法人の会員や役員をするといった社会的貢献をするべきだと思います。われわれは地域経済を構成するメンバーなのです。しかしそうした意識は、次第に失われて行っているように思われます。
みんな何のメリットもないので、商工会議所のメンバーにはなりたがらないようです。

最近の傾向であれば、ただ金持ちになりたいというだけで事業を起こす若者もいるようですが、そうした実業家は後半の人生において事業継承をどう考えるのでしょうか。私は三代目ですから、比較的昔からそうしたことをずっと考えてきましたが、ホリエモンのような近年のタイプの成り金は、この先どこかで悩むことになるとかんがえます。お金は手段であって、目的ではありません。
若手で成功した最近の実業家たちは、地域とは切り離されています。そこでホリエモンであればロケットとか、変なことに大金を使っているようですが、何を考えているのかなと不思議に思いますね。あるいは死んだときに、「現ナマをすべて棺桶に入れて焼いてくれ」とでも言うのでしょうか。

資本家にとっては、稼いだお金は自分のものではない

私の意識としては、お金が入ってきたとしても、そのお金は自分のものではないのです。
確かにそれは自分自身のお金ですが、日本は私有財産制度が本当に成立している国家ではありませんから、それを自分の金と考えることは私にはできません。
資本家にとっては、稼いだお金は自分のものではない私にとってみれば、そのお金は岩崎家のものなんです。つまり自分がすべて使い果たしてしまうことは許されていないお金なのです。地方企業であれば、地方に貢献し続けなければのけ者にされてしまいますから、地方のコミュニティーにリンクして、その中で役割を果たし続けるというのが、岩崎家の財産を保持し続ける大前提なのです。そして私の息子がそういうしっかりした意識を持つという教育までその部分に含まれていると思います。

当社の場合は、あまり営利主義的でないのでフローはあまり考えずに、先行投資型でやってきました。そうしたこともあって当社は、バブル以降アメリカ流の資本主義の洗礼を受けた時には、会社をつぶさないためにあらゆる方策を打つしかありませんでした。徹底した合理化を行いましたし、大胆な路線の見直しも行いました。2000人の雇用を削減したという意味では、反地域的なことをしたと言われても致し方がないかもしれません。しかしそうしなければ、岩崎家が持っている資本や経営資源が、中央資本によって収奪される危険があったのです。したがってここは、どんな非難を受けたとしても、岩崎家の資本を守るために闘わざるをえませんでした。
もし岩崎家がつぶれていたら、結果的には鹿児島経済にとってもっと大きな打撃になったことでしょう。

人間には、「生きた証として何を残すのか」ということが大切な問題だと思います。
自分の生きた証を残すことを考えると、突き詰めるとやはり地域社会や日本全体といったパブリックのことを考えざるを得ないと私は思うのです。
公正な環境の中で、公益につながる私利の追求を正当化する社会が真の市民社会であり、自由主義経済ではないでしょうか。

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