法治国家なら、社員を告発して何が悪い
モラルハザードの温床になる社員の横領や不正も、これまでは「会社の恥になるから」と内々の処分でなあなあに済まされてきました。しかし、果たして本当にそれでよいのでしょうか?
弱者が権力側と闘うための唯一の手段は裁判
私が裁判や告発を行うようになったきっかけのひとつとして、当社の内部の従業員が犯した、横領や不正、背任といった忠実義務違反の事例に対処したケースがあります。法的に解釈すればどう考えても使用者側である会社が勝つはずのものでも、全く逆の判例が日本には数々積み上げられてきました。私から見ると、とても社会契約説にもとづいた法治国家には見えません。
昨今、コンプライアンスや、コーポレートガバナンス、内部通報者保護制度などが整備されていますが、それはいわば当たり前のことであって、今まで日本の組織人がまったく法令遵守をしていなかった裏返しでしかありません。
企業の中にいつの間にか、従業員同士でのステイクホルダーの村が形作られていて、法令よりも、企業の内部ルールよりも、その村の掟のほうが優先しているような状況がいまだにあります。社会保険庁を見てもわかるように、刑事告発が必要だと思われる職員がまったく放置されていて、国会でも犯罪を犯した職員を告発しないことを正当化するような論陣が張られるほど、法令遵守が存在しない国なのです。
従業員の横領であれば、一般的には「会社の恥になるから」ということで、闇に葬られてきたことが多いと思います。しかし私は、「金銭的に見れば刑事事件にせずに本人に弁済させたほうが得になる」と思われるケースであっても、あえて告発して徹底追及してきました。
「社員を刑務所が入ることになっても仕方がない」というのは、これまでの日本社会ではあまりない考え方かもしれません。しかし、社内にモラルハザードを蔓延させるわけにはいきません。
とは言えそうした方法をとると、経営者として非常に評価が下がってしまいます。会社の社会的な信用が落ちたり、取引が減ったということすらありました。
犯罪の告発は、究極的には経営の一環
たとえば行政用語で「補正」というのがあります。
でも、長い目でみるとどちらが得なのでしょうか。今まで日本がどっぷりつかってきた律令制の世界から、社会契約説の世界に脱皮するためには、そうした厳しい姿勢も必要なことなのではないでしょうか。それをなあなあで済ませていたのでは、当社はつぶれていたのではないかとすら私は思います。
これは、最終的にどちらの態度をとったほうが致命傷になるか、組織とはいったい何なのか,マネジメントとは何か、社会のあるべき姿はどうなのかといった哲学に関する問題であり、経営者の選び取るべき態度なのだと思います。
「自分は経営者として不正行為は許さない」と考えるかどうかの問題です。ですから「犯罪の告発は、究極的には経営の一環だ」と私は考えています。
「経営とは私利を追求することだ」とすれば、公益の追求は私利の追求とまったく重なっていると思うのです。